Shiny Academy

AI×デザイン実践コース

~第1話 まず、今ある冊子を開いてみよう~

前回のあらすじ

観光マーケティング実践コースで、ペルソナ(たった一人の具体的な読者像)の林田家の視点から「屋島×うどん」の1ルートに絞り込み、フィールドワークで写真・テキスト・動画クリップの素材を集めた。確定情報を正確に伝える小冊子を先に仕上げ、次に感情を動かす動画を制作する「1本の川」の計画が完成し、ツアーの催行は旅行会社と連携する方針も決まった。

旧版小冊子を開く

「1本の川」の制作計画が固まり、最初に着手するのは小冊子だ。夏の日差しが窓から差し込むせとうちマーレブルの事務所に、神谷、北村、宮本の3人が集まった。

北村がスチールラックから取り出した旧版小冊子をテーブルに開き、神谷と宮本が覗き込む

北村がスチールラックの上段に手を伸ばし、ファイルボックスの奥から紙の束を引っ張り出した。A5判ほどの小冊子だ。表紙には瀬戸内海の風景写真が印刷されているが、紙は色褪せ、角が少し折れている。北村はそれを丁寧にテーブルの上に開いた。

北村裕の表情アイコン
北村
実はね、数年前にプロのデザイナーの方に全部お任せして作った冊子があるんです
北村裕の表情アイコン
北村
「いいものを作ってほしい」とだけお願いして、何をどう載せるかは全部その方にお任せしましてね。出来上がったものを見たときは、きれいだなと思いました。でも、自分では1ページも直せなかった

北村は眼鏡の上端を指で直しながら、当時の経緯を振り返った。きれいに印刷された冊子は、しかし北村にとって「触れないもの」だった。修正が必要になっても、デザイナーに連絡して依頼するしか方法がない。やがて更新のタイミングを逃し、そのまま棚の奥に眠ることになった。

長年の観光の仕事の中で、北村はたくさんの冊子やパンフレットを見てきた。しかし、それを自分たちの手で作ったことはなかった。いつも「お任せ」だった。今回は違う。自分たちで中身を決め、構成を考え、作り上げる。その第一歩として、まず旧版を開いて見てみる。

宮本彩の表情アイコン
宮本
じゃあ、私から香川のことをお伝えしますね。この冊子と今の現場の情報を照らし合わせてみましょう
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
北村さん、ここから始めましょう。まず今あるものをしっかり見てみることが大事です

旧版の問題点を洗い出す

宮本がマスタードイエローのリングノートを開いた。取材で集めた最新情報がぎっしり詰まっている。旧版小冊子を1ページずつめくりながら、リングノートの記録と突き合わせ始めた。

宮本彩の表情アイコン
宮本
この飲食店、今は営業時間が変わっていますよ。旧版には10時からと書いてありますけど、実際は11時開店になっています
宮本彩の表情アイコン
宮本
ここの土産物店は……実は、もう閉まっているんです
宮本彩の表情アイコン
宮本
この写真の場所も、今はこんな風景じゃないですね。建物が建て替わっています

宮本が指摘するたびに、旧版と現実のずれが次々と明らかになった。北村は黙ってページをめくりながら聞いていた。さらに根本的な問題もあった。

宮本彩の表情アイコン
宮本
それと、目次がないんです。どこに何が載っているか、全ページをめくらないとわからない。手に取った人は、自分がほしい情報を探せないまま閉じてしまうかもしれません
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
これだけ情報がずれていると、手に取った人が困りますね。営業時間を頼りにお店に行ったら閉まっていた、なんてことになりかねません
北村裕の表情アイコン
北村
うーん……改めて見ると、確かにそうだな。当時はこれで良かったんだが、時間が経つとこうなるんだな
旧版小冊子の問題点チェックリスト。目次なし、営業時間の古さ、閉業店舗、写真の不一致、ペルソナ不在の5項目

旧版の問題点が5つに整理された。目次がない。営業時間が古い。閉業した店舗がそのまま載っている。写真と現状が一致しない。そして、誰に向けた冊子なのかが不明確だ。今あるものの「何が使えて、何が古いか」を整理する——これが棚卸しの第一歩だった。

ゼロから作り直すのではなく、今あるものを土台にして改善する。それがバージョンアップ(今あるものを土台にした改善)という考え方だ。新規制作と違い、変更が必要な箇所と活かせる箇所がはっきりしているから、作業量の見通しが立てやすい。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
一点だけ先に確認させてください。この旧版のデザイン、制作をお願いしたときの契約書は残っていますか。外部の方に作っていただいた誌面は、レイアウトの著作権がその方に残っている場合があります。作り直しの土台にするなら、権利をこちらに譲り受けているか、改変してよいとご了解いただけているかを先に確かめておきたいんです
北村裕の表情アイコン
北村
契約書は事務所に残っているはずです。探してみますよ。もし何も書いていなければ、あの方にひとこと連絡を入れましょう
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
北村さん、ゼロから新しく作るのではなく、この旧版を土台にバージョンアップする方が合理的ではないでしょうか。素材は取材で集まっています。レイアウトの骨格もある。問題は中身の更新と構成の整理です
北村裕の表情アイコン
北村
なるほど、今あるものを活かすのか。一からやり直すんじゃなくて、直すところを直して、新しい情報に入れ替える。それなら私たちにもできそうだな、神谷くん
宮本彩の表情アイコン
宮本
変更が必要なところと、そのまま使えるところをはっきりさせれば、やるべきことも見えてきますね

ペルソナ視点で情報を厳選する

宮本のデスクのノートPCにオンライン会議の画面が映った。西園寺が東京から接続している。旧版の棚卸し結果を共有すると、西園寺はすぐに次のステップを提案した。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
棚卸しの結果、よく整理されていますね。次は情報を厳選しましょう
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
全部載せたい気持ちはわかりますが、ペルソナの林田家——阪神間に住む、小さなお子さんのいる家族連れ——が高松東港のターミナルで手に取って、夕食の席で見返す。そのシーンを想像してみてください。本当に必要な情報だけに絞るんです
北村裕の表情アイコン
北村
屋島とうどんに絞ると決めたのは私です。ただね、旧版には栗林公園も小豆島も載っている。前に載せた場所を自分の手で落とすとなると、やはり少し寂しくてね

北村の表情に、はっきりと葛藤が浮かんだ。地元を愛する気持ちが強いからこそ、どの観光地も外したくない。すべてを小冊子に詰め込みたい。その思いは自然なものだった。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
北村さんのお気持ち、よくわかりますよ。でも、全部載せると、読む人は「どれを見ればいいかわからない」になるんです。たくさんの情報を並べても、結局どこにも行けなくなってしまうでしょう
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
「1つに絞る」ことの大切さは、観光マーケティングのときに学びましたよね。全部を詰め込むのではなく、ペルソナにとって一番大事なものを選んで、それを深く伝える
北村裕の表情アイコン
北村
……そうですね。ここで迷ったら、前と同じ冊子になってしまう。旧版から引き継ぐのは、屋島とうどんに関わるページだけにしましょう

北村は眼鏡の上端を指で直しながら、静かにそう言った。投げやりではなかった。全部を載せたい思いを受け入れた上で、「一番いいもの」を作るという決意が、その言葉にこもっていた。

宮本が旧版のページを繰った。栗林公園、小豆島、直島——どのページにも魅力的な場所が紹介されている。しかし今回の小冊子は、林田家のために屋島とうどんに絞る。他の場所を紹介したい気持ちは別の機会に回す。まず1つを、深く丁寧に伝えることが大事だ。

目次をつける ── 情報構成の設計

情報を厳選する方針が決まったところで、西園寺が次の提案を切り出した。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
目次をつけましょう。読む人が「自分に必要な情報がどこにあるか」をすぐに見つけられるようにするためです
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
確かに、旧版には目次がありませんでした。読む人は全ページをめくらないと、ほしい情報にたどり着けない
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
小冊子は「全部読むもの」ではなくて、「必要なページを開くもの」として設計するのが基本ですね。読む人の動線——どの順番で情報を見ていくか——を一緒に考えていきましょう

宮本がホワイトボードの前に立ち、取材素材をカテゴリに分け始めた。赤いマーカーで「アクセス」、青で「体験スポット」、黒で「グルメ」と書き出していく。

宮本彩の表情アイコン
宮本
取材した情報を分けてみますね。まずフェリーのアクセス情報、次に屋島の体験スポット、それからうどんのお店情報——お子さん連れの方に向けた持ち物のアドバイスも入れたいです
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
林田家がこの小冊子を手に取ったとき、最初に確認するのはアクセス情報ですよね。次に体験スポット、最後にグルメ。ペルソナの行動順で並べると、目次が自然に読む人の動線になります

赤・青・黒の3色で書き分けられた目次のカテゴリが、ホワイトボードに並んだ。アクセスから始まり、体験、グルメ、持ち物の順。林田家がフェリーで到着してから屋島を楽しみ、うどんを食べ、お土産を買って帰る——その行動の流れに沿った構成だ。

旧版と新版の情報構成比較図。旧版は目次なし・羅列・全部載せ、新版は目次あり・厳選・カテゴリ構成

北村の「読みやすさ」への要望

ホワイトボードに新しい目次の骨格が書き出され、バージョンアップの方向性が形になってきた。旧版の問題点リスト、情報の厳選方針、目次の構成案。3つの成果がテーブルの上に広がっている。神谷がまとめに入ろうとしたとき、北村がぽつりと言った。

ホワイトボードに新しい目次の骨格が書き出され、北村が旧版を手に神谷・宮本と話している
北村裕の表情アイコン
北村
一つ、頼みたいことがあるんです。この小冊子、障がいのある方や高齢の方にも読んでほしいんです。前の冊子は文字が小さくて、母に見せたら「読めない」と言われたことがある

北村の声は静かだったが、長年心に引っかかっていたことが伝わってきた。母親に冊子を見せたときに「読めない」と言われた記憶。それは北村にとって、忘れられない一言だったのだろう。

宮本彩の表情アイコン
宮本
確かに、文字の大きさや色の見やすさは大事ですよね。今回の新版では、ぜひそこも一緒に考えたいです
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
大切なところに気づいてくださいましたね。それはデザインの段階で一緒に考えましょう

西園寺はそれ以上は踏み込まなかった。文字の大きさや色の差といった具体的な配慮は、デザインの工程で改めて学ぶことになる。今日の成果は、北村の要望を記録し、次のステップへの課題として残したことだ。

神谷自身も、文字の大きさや色の使い方が「読みやすさ」にどう関わるのか、具体的にはまだ知らなかった。知識がないから具体策は提案できない。しかし、北村の要望を記録に残すことはできる。知らないことは学べばいい。それを学ぶ機会が、この先のデザイン工程にある。

北村裕の表情アイコン
北村
自分たちで考えて作る。今度は「お任せ」じゃない。そういうことだな、神谷くん
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
はい。北村さんと宮本さんの知識が、この小冊子の土台になります。次回は、いよいよ叩き台を作る工程に入りましょう

窓の外では、夏の陽が西に傾き始めていた。テーブルの上には旧版小冊子と宮本のリングノート、ホワイトボードには新しい目次の骨格。今日この事務所で、旧版の棚卸し、情報の厳選方針、目次の構成案という3つの成果が生まれた。バージョンアップの方向性と情報構成の骨格が決まった。ゼロからではなく、今あるものを土台にして、一番いいものを作る。「お任せ」ではなく、自分たちで考えて作る。その出発点に、ようやく立った。


📌 覚えるポイント

  • ゼロから作り直す前に、今あるものの「何が使えて、何が古いか」を整理する。旧版を土台にできれば、制作にかかる時間もコストも大きく減らせる
  • 「作り直す」のほかに「今あるものを土台に改善する」という選択肢がある。どこをどう変えるかを先に書き出しておけば、関係者の合意も取りやすい
  • 載せる情報は「全部」ではなく、ペルソナが本当に必要とするものだけに絞る。高松東港のターミナルで手に取り、夕食の席で見返す——その使われ方から逆算すると、必要な情報量が決まる
  • 目次のない冊子は、読む人に全ページをめくらせてしまう。「自分に必要な情報がどこにあるか」がすぐ分かる構造を、中身より先に決める
  • 「障がいのある方や高齢の方にも読んでほしい」という要望は、気持ちの問題ではなく設計の問題として扱う。デザインの段階で具体的な配慮に落とし込まないと、実物には現れない
📝 神谷の北村さんへの報告メモ
旧版小冊子の棚卸し完了
旧版の問題点を5項目に整理(目次なし、営業時間の古さ、閉業店舗の掲載、写真と現状の不一致、ペルソナ不在の構成)。ゼロからの新規制作ではなく、旧版を土台にバージョンアップする方針を確定。旧版デザインの著作権の帰属と改変可否を、制作時の契約書で確認する(未確認の場合は制作者に改変の了承を取る)。
情報構成の骨格を設計
ペルソナ・林田家の利用シーン(高松東港のターミナルで手に取り、夕食の席で見返す)から情報量を逆算。「全部載せる」から「必要な情報に厳選する」へ方針転換。目次とカテゴリ構成(アクセス・体験スポット・グルメ・持ち物)の骨格をホワイトボードに整理。
UD(読みやすさ)への要望を記録
北村代表理事より「障がいのある方や高齢の方にも読んでほしい」との要望あり。前回の冊子で「文字が小さくて読めない」という声があったとのこと。具体的な対応はデザイン段階で検討予定。

まとめ

ゼロから作り直す前に、今あるものの「何が使えて、何が古いか」を整理する。情報はペルソナの利用シーンから逆算して厳選し、目次で「どこに何があるか」が一目でわかる構造に設計する。既存の資産を土台にしたバージョンアップが、制作の最も合理的な出発点になる。