Shiny Academy

実践総まとめ ─ 1ルートから始まる未来コース

~第2話 型を残す ── せとうちマーレブルのマニュアル~

前回のあらすじ

神谷はせとうちマーレブルのオフィスで最終報告を行った。成果・プロセス・学び・次のステップの4パートでプロジェクト全体を振り返り、12組の家族がモニターツアーに参加した実績や、ペルソナを実データで確かめた結果を共有した。北村が「宮本さんが、お客さんが来てくれた道すじごとの数字を自分で整理して、マニュアルの話まで自分から言い出した」と語り、宮本の成長に目を潤ませた。報告書には書けない「人の成長」が、このプロジェクト最大の成果だった。

宮本の不安 ── 「神谷さんがいなくなった後」

せとうちマーレブルのオフィスで宮本が不安そうに神谷に話しかけている場面

最終報告の翌日。せとうちマーレブルの事務所に、初冬の午前の光が2連窓から差し込んでいた。オーク調の会議テーブルに神谷と宮本が向かい合って座っている。テーブルの上には、前日の報告会で使った集計シートが数枚残っていた。

報告会は終わった。数字も共有した。北村さんは泣いてくれた。だが宮本の表情は、昨日の報告会よりも険しかった。前日の高揚が冷めた朝の、静かな不安が漂っていた。

宮本彩の表情アイコン
宮本
神谷さん、ちょっと……正直に話していいですか
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
もちろんです。何でも
宮本彩の表情アイコン
宮本
正直、私が一番不安なのは「神谷さんがいなくなった後」なんです

宮本はフィールドノートを開き、書き留めてあった箇条書きを指で追った。神谷がこの半年間で主導してきたワークフロー(作業の流れ)が、そこに並んでいた。

神谷は黙って宮本の箇条書きを見た。ペルソナ(たった一人の理想のお客様像)の設計。小冊子のデザイン。動画の撮影と編集。SNSの運用。月次レビュー。景表法のチェック。著作権と肖像権の確認。7つの項目が並んでいた。どれも、半年前には宮本の仕事ではなかったものだ。

宮本彩の表情アイコン
宮本
これ、全部神谷さんが中心になってやってくれたことです。出向期間が終わったら、私と北村さんだけで本当に回せるのかなって
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
……宮本さんがそう思ってくれていること自体、半年前とは全然違うと思います

半年前の宮本は、ペルソナという言葉も知らなかった。データを自分で整理する発想もなかった。今は不安の中身を自分で列挙できている。それは、ワークフローの全体像が見えているということだ。

宮本彩の表情アイコン
宮本
だから……マニュアルを作りたいんです。神谷さんがいなくなっても、私たちだけで回せるように
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
宮本さん、それ、昨日の報告会でも北村さんが驚いていたことですよね。自分からマニュアルの話を言い出したって
宮本彩の表情アイコン
宮本
あの場で北村さんが泣いてくださったのは、正直びっくりしましたけど……でも本当に必要だと思うんです

マニュアルの3要素 ── 手順書・更新ルール・FAQ

マニュアルの3要素(手順書・更新ルール・FAQ)を示す概念図

ノートPCを開き、西園寺にビデオ通話をかけた。画面に西園寺の顔が映ると、宮本が少しほっとした表情を見せた。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
おはよう。昨日の報告会、お疲れさま。北村さんが目元を拭っていらしたの、画面越しにも伝わってきたわ
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
はい。それで今日は、宮本さんと一緒にマニュアルを作りたいと思っています。僕が帰った後も、宮本さんたちだけで回せるように
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
いいわね。それはナレッジ移転(個人の知識を組織に共有すること)ね。「あの人がいないとできない」状態をなくすことが目的よ

ナレッジ移転。神谷には初めて聞く言葉だった。しかし意味はすぐに分かった。自分がいなくなったら回らない。それが「属人化」だ。自分の知識を宮本たちに引き継ぐことが「ナレッジ移転」になる。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
マニュアルを作るんですが、最初から完璧を目指さなくていいと思っています。「次の一歩が踏み出せる」レベルがちょうどいい
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
まるやまマートで鈴木さんのEC更新の手順書を作ったとき、口頭で説明してもらった内容をAIで整えて下書きにしたんです。でも手順書だけだと、「いつ・なぜやるか」が伝わらなくて、結局詳しい人に聞きに行くしかなかった
宮本彩の表情アイコン
宮本
手順書があるのに、それだけじゃ回らなかったんですか?
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
そうなの。手順書だけだと、書いた人がいなくなったときに誰も更新しなくなるの。「いつ・誰が見直すか」のルールと、「よくある迷い」への答えを添えておくことで、マニュアルが生き続けるのよ
宮本彩の表情アイコン
宮本
なるほど……手順書だけじゃ足りないんですね。使い続けるための仕組みもセットで必要ってことか
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
はい。導入編のDX導入で学んだのが、手順書・更新ルール・FAQの3つをセットにする「マニュアルの3要素」です。今回もこの3つを軸にしましょう
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
手順書は「何をどの順でやるか」。更新ルールは「いつ、誰が見直すか」。FAQは「よくある迷いへの答え」です

神谷はホワイトボードの前に立ち、赤いマーカーで大きく「マニュアルの3要素」と書いた。その下に3つの柱を並べる。手順書、更新ルール、FAQ。宮本がフィールドノートに同じ内容を書き写していた。

「完璧を目指さなくていい」この言葉は、まるやまマートで自分が西園寺さんから教わったことだ。最初から完璧なマニュアルを作ろうとすると、いつまでも完成しない。まず「次の一歩が踏み出せる」レベルで形にして、使いながら直していく。

4つのドキュメント ── 型を文書にする

4つのドキュメント(ペルソナ設計テンプレート・2媒体の制作マニュアル・月次レビューの型・法務チェックリスト)の全体像を示す概念図

3要素を共有したところで、具体的なドキュメントの作成に取りかかった。神谷がホワイトボードに4つの枠を横に並べ、それぞれにタイトルを書いた。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
作るドキュメントは4つです。1つ目は「ペルソナ設計テンプレート(ひな形)」。僕たちが設計した林田家のペルソナを振り返って、次のルートでも同じ手順で設計できるよう、項目を汎用化します

神谷たちが林田家のペルソナを設計したとき、ターゲットの属性、行動パターン、訴求ポイントの3つを軸にした。この3つを空欄のテンプレートにすれば、小豆島のルートでも同じ型で新しいペルソナを設計できる。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
2つ目は「2媒体の制作マニュアル」。小冊子と動画それぞれのワークフローを手順書にまとめます。プロンプトテンプレート(AIへの指示文のひな形)も入れましょう
宮本彩の表情アイコン
宮本
プロンプトテンプレート、あると助かります。毎回ゼロから考えなくて済むので

2媒体の制作マニュアルでは、小冊子と動画のそれぞれについて、企画から公開までのワークフローを手順書にまとめた。宮本が「動画の構成台本って、どの順番で書くんでしたっけ」と聞いたので、その疑問をそのままFAQの1項目にした。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
3つ目は「月次レビューの型」。分析指標を3つに絞ったチェックシートです。小冊子のQRスキャン数、動画の再生数、問い合わせ数。この3つを毎月確認すれば、施策の効果が追えます
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
指標を3つに絞るのがポイントよ。多すぎると見なくなるし、少なすぎると全体像がつかめないの

月次レビューの型は、確認すべき指標を3つに絞ったチェックシートにした。数字は毎月必ず見る。見なくなったらそこで改善が止まる。更新ルールは「毎月第1週に宮本が記入し、北村に共有する」と決めた。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
4つ目は「法務チェックリスト」。景表法、著作権、肖像権、個人情報、AI生成コンテンツの5項目です
宮本彩の表情アイコン
宮本
景表法は、あのときのことがありましたよね

宮本の言葉に、神谷は頷いた。デザイン実践の途中で、小冊子の表現が景品表示法に抵触しかねないと気づいた一件だ。「毎日見られる」という保証表現を入れかけたのを、ぎりぎりで止めた。あの経験がなければ、法務チェックリストにこの項目は入らなかっただろう。

宮本彩の表情アイコン
宮本
個人情報は、何を確認するんですか
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
申込やアンケートで何のために集めるかを先に書いて相手に見せること。旅行会社と一緒に使うなら、共同で使うことと、使う項目・相手の範囲・使う目的・管理の責任者まで申込画面に書いて、お客様がいつでも読める状態にしておくこと。集めた紙とデータの保管場所と、いつ捨てるかを決めておくこと。この3つを手順にしました
宮本彩の表情アイコン
宮本
AI生成コンテンツの項目って、具体的に何をチェックするんですか?
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
AIが生成した文章や画像を、そのまま公開していないか。事実の部分を一次情報で確かめて、根拠にした出典まで確認したか。使った生成AIツールの利用規約で、そのプランでの商用利用が認められているか。この3つです
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
一度痛い目を見たから作れるんです。失敗の経験がチェックリストの項目になる。これも大事なナレッジ移転の一部だと思います
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
そうね。成功した手順だけじゃなくて、「何に気をつけるべきか」もセットで残すことで、同じ失敗を繰り返さなくて済むわ

4つのドキュメントのそれぞれに、手順書・更新ルール・FAQの3要素を組み込んでいった。ペルソナ設計テンプレートなら、手順書は「ターゲット属性→行動パターン→訴求ポイントの順で埋める」。更新ルールは「新しいルートを企画するたびに見直す」。FAQは「項目の粒度に迷ったら、1つのペルソナカードに収まる分量を目安にする」。宮本が横でメモを取りながら、ときどき質問を挟む。神谷が答え、西園寺が補足する。3人の手で、4つのドキュメントが形になっていった。

宮本の試走 ── テンプレートで仮ペルソナを設計する

宮本がノートPCでペルソナ設計テンプレートを使って仮ペルソナカードを作成し、神谷が見守る場面

4つのドキュメントが一通り形になった。テンプレートも手順書もFAQも書いた。だが、書いただけでは検証にならない。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
宮本さん、ひとつお願いがあります。ペルソナ設計テンプレートを使って、小豆島ルートの仮ペルソナを試しに設計してみてくれませんか
宮本彩の表情アイコン
宮本
私が、ですか? ……やってみます

宮本がノートPCの前に座り、テンプレートを画面に開いた。手元にはプリントアウトしたテンプレートと、マスタードイエローのフィールドノートが並んでいる。神谷は少し離れた場所から両手を机上に自然に置き、応援する気持ちで見守った。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
神谷くん、手を出したくなるでしょうけど、ここは見てるだけよ
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
はい……分かってます

宮本が手順書の通りに進めていく。ターゲット属性の欄に書き込む。小豆島だから、オリーブや醤油に興味のある人。年齢層は。家族構成は。宮本のペンが止まった。

宮本彩の表情アイコン
宮本
この「行動パターン」の項目、何を書けばいいんだろう……あ、FAQに書いてある。「ターゲットが旅行の前・中・後で取る行動を具体的に書く」なるほど、旅行前はSNSで検索して、旅行中は体験して、旅行後は写真を投稿する……こんな感じかな

宮本の指がキーボードの上を動き始めた。迷うたびにFAQを確認し、また手を動かす。神谷は口を挟まなかった。西園寺がノートPCの画面越しに微笑んでいる。

宮本はFAQのページを確認してから、またキーボードに向かった。「訴求ポイント」の欄に「瀬戸内の穏やかな海と、島の暮らしに触れる非日常」と打ち込んだ。自分の言葉で、自分の知識から書いている。テンプレートが宮本の手の中で動き始めていた。

15分ほどが経った。宮本が画面から顔を上げた。

宮本彩の表情アイコン
宮本
……できました。小豆島ルートの仮ペルソナです。40代の夫婦、子どもは中学生。オリーブ農園の体験と、醤油蔵の見学を軸にした1泊2日の旅
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
すごい。手順通りに進めて、自力で1枚のペルソナカードを仕上げたんですね
宮本彩の表情アイコン
宮本
途中で「訴求ポイント」の書き方に迷ったんですけど、FAQに例があったので助かりました
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
宮本さん、テンプレートを実際にやってみて、どうだった?
宮本彩の表情アイコン
宮本
……これがあれば、次のルートは私たちだけでやれます

宮本の声は静かだったが、確信があった。取り繕った前向きさではない。自分の手でやってみて、自分で確かめた結果としての実感だ。マニュアルは書いただけでは机上の空論になる。「実際にやってみる」ことで初めてナレッジ移転が完了する。宮本がテンプレートを使いこなせたということは、神谷の知識がせとうちマーレブルの組織の知識になったということだ。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
これでナレッジ移転のいちばん大事なステップが終わったわね。「やってみて、回せる」と確認できたことが、いちばんの成果よ

📌 覚えるポイント

  • 「あの人がいないとできない」状態は、プロジェクトの成果を一人に依存させている。知識を文書にして組織へ渡せば、担当者が変わっても仕事は回る
  • 最初から完璧なマニュアルを作ろうとすると、いつまでも完成しない。「次の一歩が踏み出せる」レベルで書き始め、使いながら更新していく
  • 手順書だけでは足りない。「いつ・誰が更新するか」のルールと、「よくある迷いへの回答」があって初めて、マニュアルは使い続けられる
  • ペルソナ設計を「林田家専用」ではなく「テンプレート」にしておけば、次のルート(小豆島)でも同じ型で新しいペルソナを設計できる
  • 書いただけのマニュアルは机上の空論。実際にやってみて「これで回せる」と確認できたところで、はじめてナレッジ移転が完了する
  • 成功した手順だけでなく、失敗から得た教訓も残す。一度経験した失敗をチェックリストの項目にすれば、同じ間違いを繰り返さない仕組みになる

📖 覚える用語

ナレッジ移転
個人の知識やノウハウを組織に共有し、属人化(あの人がいないとできない状態)を解消すること
📝 神谷の北村さんへの報告メモ
マニュアル4点の整備
ペルソナ設計テンプレート・2媒体の制作マニュアル・月次レビューの型・法務チェックリストを作成。すべて手順書・更新ルール・FAQの3点セットで構成した
失敗の教訓を項目化
景表法・著作権・肖像権・個人情報・AI生成コンテンツの5項目で法務チェックリストを整備。今後もヒヤリとした事例が出るたびに項目を足す運用にすれば、担当者が変わってもチェックの精度は保てる
宮本さんの自立確認
マニュアルは作った本人以外が使えるかどうかでしか検証できない。宮本さんに小豆島ルートで試走してもらい、私は一切手を貸さずに観察した。詰まった箇所はFAQで自力解決できたため、次のルート企画は宮本さん主導で着手できると判断している

まとめ

知識を文書にする。更新ルールを決める。実際にやってみて確かめる。マニュアルは完成した瞬間ではなく、誰かがそれを使って動けた瞬間に完成する。「あの人がいないとできない」をなくすことが、チームの力になる。