Shiny Academy

実践総まとめ ─ 1ルートから始まる未来コース

~第4話 背景の理想、1ルートの先にあるもの~

前回のあらすじ

出向期間の終わりを前にまるやまマートに戻った神谷が、丸山社長に帰還報告を行った。西園寺の助言で自身のスキルを棚卸しし、ペルソナ(たった一人の理想のお客様像)の設計からデザイン4原則、景表法チェック、動画制作まで7つのスキルを書き出した。社長は「次の店舗リニューアルで、神谷くんにやってほしい」と託し、神谷は香川で学んだ型をまるやまマートで使う覚悟を固めた。

最後のミーティング ── 「この先」を話そう

帰還報告を終えて数日後、神谷は香川に戻っていた。出向の残りの日数で引き継ぎの最終確認と私物の片づけを済ませるためだ。初冬の柔らかい光が窓から差し込むせとうちマーレブルの事務所。半年前、初めてこの部屋に足を踏み入れたときは緊張で肩が強張っていた。今はもう、窓の向こうに高松市内の中層ビルと冬空が広がるこの景色にも馴染んでいる。最後のメンタリングのために香川を訪れた西園寺が、会議テーブルの椅子に腰かけている。普段はオンラインで伴走してくれる西園寺が直接来てくれたことに、この場の特別さが表れていた。北村と宮本も席につき、4人のミーティングが始まった。引き継ぎ資料の確認が一通り終わったところで、宮本がペンを置き、少し改まった声で切り出した。

宮本彩の表情アイコン
宮本
神谷さん、一つ報告があります。先週、県の観光振興担当から正式に問い合わせが来ました。「屋島×うどんのルートの設計手法について詳しく聞きたい」って
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
最終報告のときにお伝えした問い合わせが、正式な依頼になったんですね
宮本彩の表情アイコン
宮本
はい。小冊子とSNS動画のことも聞かれました。どうやって企画して、どうやって集客して、どうやって効果を測ったのか、全部です
北村裕の表情アイコン
北村
あのときの話が正式な依頼にまでなるとは、思ってもみませんでした。12組は小さいと思っていたんですが、行政の目に留まるには十分だったんですね
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
行政が動いたんですね。北村さんもお感じかもしれませんが、数が小さく見えても、成果が目に見える形で残っていれば、声はかかるものでしょう

宮本の声にはわずかな誇りが滲んでいた。モニターツアーに参加した12組の家族。小冊子を見て申し込んだのが3組、SNS動画を見て申し込んだのが9組。海外からの反応まで生まれていた。その小さな実績が、香川県の観光を担当する行政の窓口から正式な問い合わせという形で返ってきた。北村が眼鏡の上端を指で直しながら「あの電話が、ここまで来るとはな……」と低く呟いた。ホワイトボードにはまだモニターツアーの振り返りで使った地図の線が残っている。西園寺は隣の席で静かに微笑んでいる。神谷は窓の外の冬空を一瞬見上げた。この成果は終わりではなく、むしろ何かの始まりなのだと感じていた。屋島×うどんの1ルートは成功した。では、その先に何があるのか。

小さな成功の位置づけ ── PoCという考え方

西園寺が椅子から少し身を乗り出した。ここまでの引き継ぎの確認を静かに見守っていた彼女の口調が、ふっと変わった。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
せっかくだから、屋島×うどんの1ルートがどういう位置づけにあるか、一度整理してみましょう
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
位置づけ……ですか
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
12組の家族が来て、小冊子経由で3組、動画経由で9組の申し込みがあったわ。海外からの反応まで生まれたのよ。小さく始めること自体はスモールスタートね。その小さな試みで「この型は本当に通用する」と確かめられたことを、PoC——概念実証(がいねんじっしょう)と呼ぶのよ
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
PoC……。まるやまマートでDXを始めたときも、まず時短食品というひとつのカテゴリだけに絞って、本部のExcelとECの商品情報を揃えるところから試しましたよね。あれと同じ構造ですか
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
ええ、同じ構造よ。全部を一度にやろうとせず、まず1つのルートで成果を出す。その実績があるから、次のステップに進むための説得材料になるの。逆に言えば、最初のPoCがなければ、次を提案しても「本当にできるの?」で終わってしまうでしょう
PoCから本格展開へのロードマップを示す概念図

1つの成功事例が、次の行動の説得材料になる。計画書に「やりたい」と書くだけでは誰も動かせない。「やって、こうなった」という実績が次のドアを開く鍵になる。屋島×うどんの1ルートは、終着点ではなくPoC(概念実証)から本格展開へ向かう最初のピースだった。モニターツアーの12組、小冊子と動画という2つのチャネル(届ける経路)、海外からの反応。これらの数字と事実がそろったからこそ、「次もやれる」と言える根拠が生まれた。

瀬戸内の広域周遊観光 ── 西園寺の長期ビジョン

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
PoCの話をしたところで、もう少し先のことも一緒に考えてみませんか。ちょっとホワイトボードを使わせてくださいね
せとうちマーレブルの事務所でホワイトボードに地図を描く西園寺と、それを見る神谷・北村・宮本

西園寺がホワイトボードの前に立った。黒いマーカーで瀬戸内海の海岸線を描き、屋島の位置に小さな丸印をつける。上部に「瀬戸内の広域周遊観光」と書き添えた。赤いマーカーに持ち替え、小豆島、直島と、次々に丸を書き足していく。宮本がマスタードイエローのリングノートにペンを走らせながら、ホワイトボードを食い入るように見つめている。北村は黙って地図に目を凝らしていた。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
屋島×うどんの1ルートを最初のピースとして、小豆島や直島にも新しいルートを作っていく。それぞれのルートが小冊子と動画を持ち、旅行会社と連携して発信されます。そうすれば旅行者は、自分に合ったルートを選べるようになりますね。観光庁が「広域周遊観光」と呼んでいる形です。パソコンにたとえるなら、ルートが「アプリ」で、それを動かす設計の手順が「OS」にあたる、という感覚ですね
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
OS……パソコンの基本ソフト、オペレーティングシステムのことですか
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
そう、その感覚で合っているわ。ルートを「アプリ」だとすると、それを動かす仕組み——ペルソナの設計手順、コンテンツ制作の型、法務チェックのフロー、効果測定の指標——が「OS」にあたるのよ。今回のプロジェクトで作ったのは、最初のアプリとOSの原型なの
宮本彩の表情アイコン
宮本
つまり、ルートが変わっても設計の型は同じということですか。この前テンプレートで試しに書いた小豆島の仮ペルソナは、40代の夫婦で、子どもは中学生でした。屋島の林田家とは家族の年齢も旅の動機も違うのに、埋める項目はまったく同じでしたね
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
宮本さん、まさにそこね。1つのルートに1つのペルソナを設計する。ルートごとにお客様像は変わるけれど、設計の型は使い回せるわ
北村裕の表情アイコン
北村
大きな話だな……。しかし、屋島で1本目が動いたのは確かだ

ルートが変わればペルソナも変わる。しかし、設計の型は同じだ。ペルソナを描き、コンテンツを作り、発信し、効果を測る。その一連の手順が「OS」として機能するなら、新しいルートを開発するたびにゼロから始める必要はない。屋島×うどんで作った型が、小豆島でも直島でもそのまま使える。これが「OS」の意味だった。北村はホワイトボードの地図に視線を落としたまま、小さく頷いた。宮本がリングノートに走らせたペンが止まった。今まとめていたのは、ルートごとに変わる部分と変わらない部分の整理だろう。彼女はもう、次のルートを具体的に考え始めている。

エコシステム ── 全部自分でやらない

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
ただ、この構想を実現するには……せとうちマーレブルだけでは難しいですよね。ルートが増えれば、人も予算も足りなくなる
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
よく気づいたわね、神谷くん。だから、全部を自分たちで抱えなくてもいいでしょう。DMO——観光地域づくり法人のことだけれど——や自治体の観光課、ジャンボフェリーのような交通事業者、宿泊施設、それから他の地域のNPOもあるの。それぞれが持っている強みを組み合わせて、地域全体で価値を生み出す。こういう考え方をエコシステム——生態系と呼ぶのよ
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
エコシステム……。森の中で木と土と水と虫がそれぞれの役割を持って全体を支えているような、あのイメージですか
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
その例え、しっくりくるわね。ビジネスでも同じで、1つの組織が全部の機能を持つ必要はないの。せとうちマーレブルの強みは、「型を持っていること」と「実績を持っていること」の2つよ。全部のルートを開発するのではなくて、成功した型と実績を持って連携の席に着く。それがNPOの役割だと思うわ
北村裕の表情アイコン
北村
人のつながりなら、自分にも強みがありますよ。いま西園寺さんがおっしゃった観光地域づくりの法人も、船や電車の会社も、長年の付き合いがありましてね。型と実績を持って訪ねれば、きっと話を聞いてくれますよ
エコシステム(連携の仕組み)を示す概念図

1つの組織で全部をやろうとすると、人も予算も足りなくなる。DMO(観光地域づくり法人)は多様な関係者をまとめて観光地域づくりの戦略をつくり、その実行を調整する司令塔を担い、自治体の観光担当課は行政の窓口と予算を持ち、交通事業者はアクセスのインフラを持っている。それぞれの主体が得意なことを持ち寄り、地域全体として価値を生む。せとうちマーレブルが持つのは、1ルートを成功させた「型」と「実績」だ。それを手土産にして、連携の席に着く。北村が長年かけて築いた地域の人脈が、その連携の基盤になる。全部を抱え込むのではなく、自分たちの強みに集中する。

県の観光振興担当の声かけが証明したもの

北村裕の表情アイコン
北村
長年この仕事をやってきて、行政から名指しで声がかかったのは初めてでしてね。あのときは驚きましたよ
宮本彩の表情アイコン
宮本
県の観光振興担当から連絡が来たとき、正直、信じられなかったんです。12組の小さなツアーなのにって
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
信じられなかったのも無理はないわ。でも、北村さんが長年この仕事をされてきて初めて、とおっしゃったのよ。それが何よりの証しね。計画書を100ページ書いても「予定」にすぎないでしょう。12組の家族が実際に来て、小冊子とSNS動画の2つのチャネルで集客できて、海外からの反応もあった。この事実の方が、ずっと説得力があるわ
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
僕たちが作ったのは計画書ではなく実績だった、ということですね
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
そう受け取ってもらえると嬉しいわ。連携を呼びかけるときの最大の説得材料は、「やれます」ではなく「やりました」と言えることなの。県の観光振興担当が動いたのも、せとうちマーレブルが実績を持っていたからでしょう

計画書ではなく実績。「やりたい」ではなく「やった」。モニターツアーの企画と催行、小冊子とSNS動画という2つの媒体、参加者の声と反応データ。小さな成功が、行政を含む外部からの信頼を呼び寄せていた。北村が県の観光振興担当からの電話を受けたとき、相手が最初に言ったのは「実績を拝見しました」だったという。計画書を読んだのではない。実際に動いたツアーの成果を見て、問い合わせてきたのだ。PoCの成果が説得材料に変わり、説得材料がエコシステムへの入口を開く。計画を語るだけでは動かなかった歯車が、実績という手応えで回り始めていた。北村が背筋を伸ばした。自分たちのやってきたことが、ようやく形になり始めている。その実感が、穏やかな表情の奥に灯っていた。

次のピースは宮本が置く

北村裕の表情アイコン
北村
次は小豆島だ。オリーブ公園と醤の郷で、新しい1ルートを作る。……宮本さん、中心になってくれ

北村の言葉に、会議テーブルに一瞬の静けさが落ちた。宮本がテーブルの上からマニュアルのファイルをそっと手に取った。先にまとめた4冊のワークフローマニュアル。ペルソナ設計テンプレート、2媒体の制作マニュアル、月次レビューの型、法務チェックリスト。北村の言葉を受け止めた宮本の表情は、落ち着いていた。

マニュアルを手に決意を語る宮本と、頷く神谷
宮本彩の表情アイコン
宮本
小豆島のルートは、このマニュアルに沿って始められます。ペルソナの設計手順も、コンテンツ制作の型も、法務チェックの手順も、全部ここにあります
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
宮本さん、頼もしいわね
宮本彩の表情アイコン
宮本
正直、まだ不安はあります。でも、何から手をつければいいかはわかっています。わからないことが出てきたら、マニュアルを開いて確認できます。……最初のペルソナは、私が書きます

1ルートの成功が最初のピースなら、次のピースは宮本が置く番だった。北村が「中心になってくれ」と託した言葉の重みを、宮本はまっすぐに受け止めていた。マニュアルがあり、型があり、実績がある。宮本がマニュアルの表紙に視線を落とす仕草に迷いはなかった。半年前、現場で拾ったお客様の声をフィールドノートに書き留めて渡すことが自分の役割だと思っていた彼女が、今はルート全体の設計を語っている。北村から宮本へ、信頼がそのまま次の仕事になった。神谷がいなくても回る仕組みがここにある。属人化しない仕組みこそが、PoCから次のステップへ進むための鍵なのだと、神谷はこのとき改めて感じていた。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
小さく始めて、実績を作って、次の連携を呼ぶ。この循環が回り始めたら、エコシステム——連携の仕組みは自然と育っていきますよ。最初の1本を作れた組織は、2本目も作れます。大事なのは、実績を止めずに積み上げていくことですね

📌 覚えるポイント

  • 1ルートだけでも成功させれば、「同じ型で次もやれる」という再現性を示せる。やる価値があるかどうかは、計画ではなく実物で確かめてから広げる
  • 県の観光振興担当からの声かけは、小さな成功が外部の信頼を呼んだ結果だった。説得材料になるのは計画書ではなく実績
  • DMO・自治体・交通事業者と連携し、それぞれの強みを組み合わせて地域全体で価値を生む。エコシステムとは、全部を自分でやらないという選び方でもある
  • NPOの役割は、全ルートを開発することではない。成功した型と実績という最初の1ピースを持って、連携の席に着くこと
  • マニュアルがあれば、次のルートは別の人が始められる。属人化しない仕組みこそが、PoCから本格展開へ進むときの鍵になる

📖 覚える用語

PoC(概念実証)から本格展開へ
小さな実証実験(PoC)で成果を確認してから、規模を拡大する進め方。計画段階で全体を設計するのではなく、まず1つで「やれる」ことを証明し、その実績を基に次のステップへ進む
エコシステム(ビジネスエコシステム)
DMO(観光地域づくり法人)・自治体・交通事業者・NPO等がそれぞれの強みを持ち寄り、連携して地域全体の価値を生み出す考え方。1つの組織で全部をやるのではなく、役割を分担する
📝 神谷の北村さんへの報告メモ
PoCの位置づけ
屋島×うどんの1ルートはPoC(概念実証)として完了。12組の家族参加、2チャネル集客、県の観光振興担当からの問い合わせという実績が、次のステップの説得材料になる
エコシステム(連携体制)の構想
NPO単独ではなく、DMO・自治体・交通事業者・宿泊施設・他NPOと連携するエコシステムの考え方を取り入れる。せとうちマーレブルの役割は、型と実績を持って連携の席に着くこと
次のアクション
直近の最優先は、県の観光振興担当への回答準備。問い合わせの中身は設計手法なので、宮本さんがまとめたマニュアルをそのまま説明資料に転用できる。並行して小豆島ルートの初回ミーティングを設定し、ペルソナ設計から順に着手する

まとめ

小さな成功は終わりではない。1つの実績は次の連携を呼び、連携が新たなルートを生む。全部を一度にやるのではなく、「型と実績を持って席に着く」ことでエコシステムは広がっていく。最初のピースは置かれた。北村の信頼を受けた宮本が、次のピースを置く。その場にいる人たちが、次のルートをつくる。