Shiny Academy

プロローグ ─ 香川観光編コース

~第2話 せとうちマーレブルの「困りごと」を聞く~

登場人物

北村裕

北村 裕(きたむら ひろし)

NPO法人せとうちマーレブル 代表理事 / 62歳
丸山社長の大学時代のテニスサークル仲間。瀬戸内の観光振興に長年情熱を注いできた。伝えたいものは溢れているが、情報発信の手段が追いつかず、新しい力を求めている。温かく丁寧な口調で、初対面の相手にも気負わせない空気を持つ。

宮本彩

宮本 彩(みやもと あや)

NPO法人せとうちマーレブル スタッフ / 24歳
関西の大学を出てUターンで入った2年目のスタッフ。明るい笑顔と親しみやすい口調が印象的。北村の溢れる情熱を受け止めつつ、限られた人数と予算の現実を冷静に見ている、チームの実務を支える存在。


前回のあらすじ

まるやまマートの丸山社長から、大学時代の旧友・北村裕が経営する香川のNPO法人「せとうちマーレブル」への在籍出向を提案された神谷。西園寺に相談し、「困りごとから始める。全部やろうとしないで、1つに絞る」という原則を胸に、自分の意思で香川行きを決断した。

瀬戸内の朝焼けに目を覚ます

初夏の明け方、フェリー屋上デッキで神谷が朝焼けの瀬戸内海を眺めている

神戸港を深夜に出航したフェリーが、瀬戸内海を渡っている。初夏の明け方、肌寒さに目を覚ました神谷がデッキに出ると、水平線の切れ間からあたたかなオレンジ色の光がにじみ、水面にまっすぐな光の筋を落としていた。

ウッドデッキと人工芝が広がる「空のテラス」。ステンレスの手すりに手を置くと、初夏でもひんやりと冷たい。潮風に上着の裾が揺れる。昨日までのスーパーの蛍光灯の下とは、まるで違う世界だった。

ぴっぴ、温かいのと冷たいのどっちがええ?

フェリー船内のうどん売店で、おばちゃんが湯気の立つカウンター越しに神谷にうどんを勧めている

朝の冷えた体を温めようと、船内のうどん売店に足を向けた。木目調のカウンターの奥で、白い湯気が立ち上っている。矩形の窓から朝の海面が光って見えた。

売店のおばちゃんの表情アイコン
おばちゃん
ぴっぴ、温かいのと冷たいのどっちがええ?
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
ぴっぴ……?
売店のおばちゃんの表情アイコン
おばちゃん
うどんのことよ。香川の子はみんなそう言うんよ
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
あ、温かいのをお願いします

うどんが茹で上がるのを待つ間、神谷は窓の外に目をやった。朝の海面が静かに光っている。おばちゃんが湯気の向こうから声をかけた。

売店のおばちゃんの表情アイコン
おばちゃん
今日はきれいやねえ。何年見ても飽きんのよ、この海は

カウンターに置かれたうどんは、透き通っただしに太い麺が浮かび、刻みねぎと天かすが添えられていた。ひと口すすると、だしの温かさが体に沁みた。おばちゃんはにこにこしながら、他のお客さんの対応に戻っていった。

ようこそ香川へ

朝焼けの高松東港で、フェリーから降りた神谷を宮本が笑顔で出迎えている

フェリーが高松東港に接岸した。ターミナルビルの向こうに、初夏の朝の空が広がっている。タラップを降りると、ひとりの女性が笑顔で手を振っていた。

宮本彩の表情アイコン
宮本
神谷さん、ようこそ香川へ。せとうちマーレブルの宮本です。車で事務所まで15分くらいです
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
宮本さん、はじめまして。朝早くからありがとうございます
宮本彩の表情アイコン
宮本
私、関西の大学を出てUターンで入ったんです。まだ2年目で分からないことも多いんですけど、よろしくお願いしますね
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
こちらこそ、よろしくお願いします。僕も観光はまったくの門外漢なので

宮本彩。24歳。明るい笑顔と、親しみやすい口調が印象的だった。車に乗り込むと、車窓に初夏の高松の街並みが流れ始めた。

宮本彩の表情アイコン
宮本
神谷さん、フェリーのうどんは食べました?
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
食べました。おばちゃんに『ぴっぴ』って言われて、最初何のことか分からなくて
宮本彩の表情アイコン
宮本
あはは、ぴっぴ! 私も子どもの頃おばあちゃんに言われてました。でも最近は若い人は使わないかもしれないですね

車窓の向こうに、穏やかな瀬戸内の海が見え隠れした。

宮本彩の表情アイコン
宮本
あれが屋島です

宮本が指差した方角に、平たい台地形のシルエットが浮かんでいる。まるやまマートの周りにはなかった景色だ。

北村裕という人

せとうちマーレブルの小さな事務所で、北村が神谷を温かく迎え入れ、宮本が横で見守っている

せとうちマーレブルの事務所は、高松市内の雑居ビルの2階にあった。窓の下に横一列で並んだ中古のデスク、キャスター付きの大きなホワイトボード、オーク調の会議テーブルとスタッキングチェア。壁のコルクボードには活動の予定表や写真が実用的に留められている。少ない人数と予算で工夫してやっている空気が、部屋いっぱいに漂っていた。

北村裕の表情アイコン
北村
神谷くん、よく来てくれたねえ。丸山から話は聞いていると思うが、改めて。北村裕です。長年この土地で、瀬戸内の観光振興をやっています
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
はじめまして、神谷悠馬です。観光はまったくの未経験ですが、よろしくお願いします
北村裕の表情アイコン
北村
未経験で構わないんですよ。新しい目で見てくれる人が必要なんだ。丸山が太鼓判を押してくれたからね、期待しているよ

北村裕。62歳。温かく丁寧な口調で、初対面の神谷にも気負わせない空気を持っている。社長の旧友というだけでなく、長年この土地の観光に情熱を注いできた人なのだと、すぐに分かった。テーブルの上に出された温かいお茶に手を伸ばしながら、北村が笑った。

北村裕の表情アイコン
北村
丸山とは大学のテニスサークル時代の同期でしてね。あの男は根っからの商売人ですが、人を見る目がある。神谷くんを推薦してきたということは、何か光るものがあるんでしょう
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
光るもの、と言われると緊張しますが……精一杯やらせていただきます

やりたいことは山ほどある

お茶が一巡したところで、神谷は本題に入った。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
今、どんなことに困っていますか

西園寺から学んだ第一原則を、そのまま口にした。すると、北村の目が輝き始めた。困りごとを語ろうとしているのに、話は自然と瀬戸内の魅力のほうへ流れていく。

北村裕の表情アイコン
北村
高松の東に、海へ突き出た台地がありましてね。獅子の霊巌から見る瀬戸内の夕日は、何度見ても飽きないんですよ。那須与一が弓を引いた源平の古戦場もある。山を下りれば、踊りながらうどんを踏む体験工房もあってね——
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
屋島ですか。歴史も自然もある場所なんですね
北村裕の表情アイコン
北村
そうなんだよ。栗林公園の松の回廊も素晴らしいし、小豆島のオリーブ畑もいい。直島のアートもある。この土地にはね、伝えたいものが溢れているんだ。でも、それをうまく届ける方法が分からない

北村の声のトーンが上がり、身振りが大きくなるたびに、神谷は気づいた。この人は「困っている」のではなく、「伝えたいものが溢れている」のだ。困りごとの裏に、瀬戸内への深い愛情がある。

宮本が、北村の熱弁を受けて現実を整理し始めた。

宮本彩の表情アイコン
宮本
北村さんの気持ちはわかるんですけど、今あるのは3年前に外のデザイナーさんに丸投げで作った小冊子だけなんです。目次もないし、情報も古くて。ホームページは知り合いに頼んで作ったきりで更新してないし、動画はゼロです
北村裕の表情アイコン
北村
やりたいことは山ほどあるんだが、何から手をつけていいか分からないんだよ
宮本彩の表情アイコン
宮本
しかもスタッフは北村さんと私の実質2人で、予算も限られています。全部やりたい気持ちは同じなんですけど、現実的にはどこかに絞らないと

北村が肩を落とす。宮本が隣で小さくうなずく。テーブルの上に、少し色褪せた小冊子が置かれていた。表紙の海の写真はきれいだが、中を開くと文字が小さく、レイアウトも読みづらい。これが「3年前に丸投げで作った」ものだ。

まず、書き出すところから

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
北村さん、宮本さん。まず困りごとを整理しましょう。何があって、何が足りないか——それを書き出すところから始めませんか
北村裕の表情アイコン
北村
書き出す……そうだね、それならできそうだ
宮本彩の表情アイコン
宮本
ホワイトボード、使いましょう。私も一緒に書き出します

3人がホワイトボードの前に集まった。神谷がマーカーを手に取り、ボードの中央に縦線を引いた。左側に「今あるもの」、右側に「足りないもの」と書く。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
まず「今あるもの」から。宮本さん、さっきの話を整理すると——
宮本彩の表情アイコン
宮本
小冊子が1種類。ホームページが1つ、更新なし。あとは北村さんの知識と人脈です
北村裕の表情アイコン
北村
それと、地元の観光スポットの写真はいくつかあるよ。自分の携帯で撮ったものだけだがね
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
分かりました。では「足りないもの」は?
宮本彩の表情アイコン
宮本
県外への発信手段です。ホームページの更新体制、動画、SNS——全部ありません
北村裕の表情アイコン
北村
あと、お客さんの声が聞けていない。来てくれた人が何を感じたか、分からないんだよ
せとうちマーレブルの「今あるもの」と「足りないもの」を左右に並べた現状整理の二列比較図

ホワイトボードが少しずつ埋まっていく。北村がマーカーを手に取り、宮本がノートに写し、神谷が話を整理して追記していく。小さな事務所に、チームの空気が生まれた瞬間だった。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
こうして並べてみると、「今あるもの」は意外と多いですね。北村さんの知識と人脈、地元との連携、そして何より瀬戸内の観光資源そのもの。足りないのは、それを届ける手段です
北村裕の表情アイコン
北村
そう言われると、少しホッとするねえ。何もないと思っていたが、あるものはあるんだな
宮本彩の表情アイコン
宮本
北村さん、あるものはたくさんありますよ。足りない部分をどう埋めるか——それを考えるのが、これからの仕事ですね

📌 覚えるポイント

  • 新しい現場では、自分の知識を持ち込む前に、相手の話をじっくり聞いて現状を把握することが大切
  • 課題の棚卸しの基本は「今あるもの」と「足りないもの」を書き出して整理すること。書き出すだけで「何もない」が「あるものはある」に変わり、どこに集中すべきか見えてくる
  • 相手が「やりたいこと」を語るとき、その裏にある「困っていること」を見つけ出す——「困りごとから始める」の実践

📖 覚える用語

ぴっぴ
香川の讃岐弁(幼児語)で「うどん」の意味。主に祖父母世代が子どもや家族に対して使い、若い世代の日常会話では「うどん」が一般的。
課題の棚卸し
「今あるもの」と「足りないもの」を書き出して整理すること。全体を見渡してから優先順位をつけ、どこに集中するかを決めるための基本的なアプローチ。
📝 神谷の社長報告メモ
到着までの所感
神戸港を深夜に出航し、早朝に高松東港へ到着。船内のうどん売店で、うどんを指す地元の言葉「ぴっぴ」を教わった。用語も含め、まず土地のことから覚えていく。
せとうちマーレブルの現状
スタッフは北村さん(代表理事)と宮本さんの実質2人。発信物が古いまま止まっているのは、予算を惜しんだからというより、作ったあとに手を入れる担当が決まっていなかったためだと見ている。外に任せて仕上げて終わりにすると、数年で中身が現実からずれる——うちのECサイトの更新にも通じる話だと感じた。この2人という規模が、これからどの打ち手を選べるかの前提になる。
困りごとの整理
棚卸しの進め方として、こちらが一方的に聞き取るのではなく、ホワイトボードを3人で囲み、北村さんご自身にもマーカーを持っていただいた。「困っていることは」と尋ねると話が魅力の紹介のほうへ流れてしまうため、まず存分に語っていただいてから書き出して分類する、という順序が有効だった。両側を見比べると、「今あるもの」は年月をかけないと手に入らないもの、「足りないもの」は外から補えるものに、はっきり分かれている。一覧は事務所のホワイトボードに残し、いつでも追記できる状態にしてある。
次にやること
「足りないもの」の中から優先度を決め、最初に取り組む1つを絞る。全部やろうとしないで、まず1つに集中する——導入編の原則をここでも実践する。

まとめ

瀬戸内の朝焼けを越えて、神谷は香川に降り立った。「ぴっぴ」の一語で知った距離感。北村の溢れる情熱と、宮本の冷静な現状把握。ホワイトボードに「今あるもの」と「足りないもの」を書き出したとき、北村の表情が変わった。「困りごとから始める」——導入編で学んだ原則を、初めて外の現場で実践した一日だった。