Shiny Academy

観光マーケティング実践コース

~第1話 スーパーと観光は、何が違うのか~

前回のあらすじ

在籍出向で香川に渡った神谷は、NPO法人せとうちマーレブルの北村裕と宮本彩に出会った。瀬戸内の魅力を語り始めると止まらない北村、冷静に現実を整理する宮本。3人でホワイトボードに「今あるもの」と「足りないもの」を書き出し、困りごとの整理を始めたところだった。

地元の人と旅行者で、見え方が違う

初夏の高松商店街のアーケードを神谷と宮本が歩き、パンフレットラックや地元の店先を見ている

着任2日目の朝。前日にホワイトボードへ書き出した「足りないもの」のリストが頭に残っていた宮本が提案した。

宮本彩の表情アイコン
宮本
神谷さん、まず街を歩いてみませんか? 観光地って、地元の人間と旅行者で見え方が全然違うんです
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
街歩きですか。はい、ぜひ

高松市内の商店街を歩く。半透明のアーケードの屋根から初夏の日差しが降り注ぎ、タイル張りの通路に柔らかな影が落ちていた。手書きPOPやのぼり旗が両脇に並び、どこかのうどん屋からだしの香りが漂ってくる。宮本が歩きながら、現場のエピソードを語ってくれた。

宮本彩の表情アイコン
宮本
あそこの讃岐うどん屋さん、改装して英語メニューを出したら外国人のお客さんが増えたんですよ。『写真を見たら注文しやすい』って言ってくれたお客さんもいて
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
写真メニュー、効果があったんですね。まるやまマートでも、POPの写真を変えたら手に取る人が増えた経験があります
宮本彩の表情アイコン
宮本
やっぱりそうなんですね。見せ方ひとつで反応が変わるのは、どこでも同じなんだなって思います

歩きながら、神谷はところどころで足を止めた。土産物店の店先に並ぶ和三盆のパッケージ。手作りのオリーブ石鹸。直島のアートポスター。まるやまマートの商品棚と同じように、棚の配置や見せ方に工夫が凝らされている。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
面白いですね。商品の見せ方はスーパーと似ているところがある。POPを工夫したり、陳列の順番を変えたり
宮本彩の表情アイコン
宮本
でもね、神谷さん。ここにいるお客様って、もうこの街に来てくれた人なんですよ。来てくれた人への見せ方はスーパーと似てます。問題は、まだ来ていない人たちなんです

お店はお客様が来てくれる。観光は?

アーケードの先に、観光案内所の看板が見えた。入口横にパンフレットラックが設置されている。屋島、栗林公園、小豆島——色とりどりの冊子が整然と並んでいた。神谷は見覚えのある光景に足を止めた。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
宮本さん、このパンフレットラック、スーパーの売り場と似てますね。目を引くPOPで手に取ってもらう、という流れが
宮本彩の表情アイコン
宮本
確かに似てますよね。でも、お店はお客様が来てくれますよね。観光は『知ってもらうところ』から始まるんです。この街の存在すら知らない人に、来てくださいと言っても届きませんから
宮本彩の表情アイコン
宮本
この案内所、去年リニューアルしたんです。でも実際にパンフレットを手に取る人って、そんなに多くないんですよ。地元の人はそもそも来ないですし、旅行者の方もスマホで調べるほうが多いみたいで
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
それは……紙のパンフレットを置くだけでは、届かないということですか
宮本彩の表情アイコン
宮本
そうなんです。置いてある場所まで来てくれた人にしか届かない。県外の人にどうやって知ってもらうか——それが一番の壁なんですよね

認知→興味→比較→購入→継続

せとうちマーレブルの事務所で神谷と宮本がノートPC越しに西園寺へ報告し、北村が横で聞いている

事務所に戻った神谷と宮本は、西園寺にオンラインで報告した。北村も横で聞いている。神谷が街歩きで気づいた「入口の違い」を伝えると、西園寺が少し考えてから口を開いた。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
西園寺さん、今日街を歩いて気づいたことがあります。スーパーはお客様が来てくれるけど、観光は知ってもらうところから始まるんですね
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
いい気づきね。観光のファネルは、小売よりもっと手前——『知る』から始まるの

西園寺がノートPCの画面越しに、穏やかに頷いた。そして、導入編で学んだ枠組みを持ち出した。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
導入編のWebマーケで学んだ5ステージ、覚えてる? 認知→興味→比較→購入→継続。構造は同じよ。ただ、最初の『認知』のハードルが圧倒的に高いのよ
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
認知、興味、比較、購入、継続……。確かに、まるやまマートでは認知の段階はほとんど意識しませんでした。地域の人はお店を知っているから
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
そうでしょうね。でも観光は、この街の存在すら知らない人が相手になるの。だから認知——まず知ってもらうこと——のコストが、桁違いに高くつくわ

認知→興味→比較→購入→継続——5つの段階を追うごとに、顧客の数は少しずつ絞られていく。導入編でWebマーケティングの一環として学んだこの枠組みは、観光にもそのまま当てはまる。ただし、観光ではその入口——認知のハードルが、小売とは比較にならないほど高い。

5ステージの顧客ファネル概念図:認知→興味→比較→購入→継続の各段階で顧客数が絞られていくじょうご型の図解
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
一つ補足しておくわね。5ステージのそれぞれで、お客様が感じていることが違うの。認知は『こんな場所があるんだ』、興味は『ちょっと気になる』、比較は『ほかの旅行先と比べてみよう』、購入は『行こう』、継続は『また行きたい』。この心理の変化を、一緒に追いかけていきましょう
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
そう考えると、まるやまマートのWebマーケティングで使った枠組みと同じ構造ですね。ただ入口の高さが違う
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
ええ、そこが肝心なところね。型は同じなの。だから、導入編で学んだことが観光でも武器になるわ

じょうごみたいに絞られる

北村裕の表情アイコン
北村
ファネル? ……すみません、聞き慣れない言葉でして

横で聞いていた北村が、率直に首をかしげた。西園寺は笑顔で答えた。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
たとえば、『知る→気になる→くらべる→決める→また来る』。お客様が初めて知ってから、何度も来てくれるようになるまでの流れですよ
北村裕の表情アイコン
北村
ああ……じょうごみたいに、だんだん絞られていくわけですね。たくさんの人が知って、そのうちの何人かが気になって、もっと少ない人が実際に来てくれる
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
ぴったりのたとえですね。だからファネル——漏斗という名前がついているんです
北村裕の表情アイコン
北村
なるほどねえ。じょうごの絵で考えると分かりやすい

北村が腕組みを解いて、テーブルの上のマグカップに手を伸ばした。ひと口飲んで、ゆっくりと言葉を続けた。

北村裕の表情アイコン
北村
でもね、神谷くん。うちの場合は、そのじょうごの一番上——『知る』の部分が一番弱いんですよ。パンフレットは作りましたが、県外にはほとんど届いていません。ホームページも、知り合いに頼んで作ったきりなんです
宮本彩の表情アイコン
宮本
ホームページを見てくれる人は月に200人くらいなんです。県外からはほとんど来ていません
北村裕の表情アイコン
北村
せっかくいい場所がたくさんあるのに、知ってもらえていないんだなあ

入口が違うだけで、流れは同じ

話が一段落したところで、神谷はふと思いついた。街歩きで感じた「スーパーと観光の違い」を、ファネルの図で見比べたらもっと分かりやすくなるのではないか。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
あの、ちょっとホワイトボードを使ってもいいですか。今の話を図にまとめてみたいんです
北村裕の表情アイコン
北村
おお、どうぞどうぞ。マーカーはそこにありますから
スーパーと観光の2つのファネルを横に並べた比較図:スーパーは認知が小さく、観光は認知が圧倒的に大きいことを示す
神谷がホワイトボードにスーパーと観光の2つのファネル図を描き、北村と宮本が認知の差を見つめている

神谷はホワイトボードの前に立ち、赤と青のマーカーを手に取った。左にスーパーのファネル、右に観光のファネルを並べて描く。スーパーのファネルは認知の段が小さく、興味以降が相対的に大きい。一方、観光のファネルは認知の段が圧倒的に大きく、下に行くほど急激に狭くなっていた。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
こうして並べてみると分かりやすいですね。入口が違うだけで、流れは同じなんだ
宮本彩の表情アイコン
宮本
スーパーのほうは、知ってもらうところで困ることがほとんどないんですね。地域の方はもうお店を知っているから
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
そうなんです。でも観光のほうは、認知のじょうごの入口がすごく広くて、しかもほとんどの人がそこで止まっている
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
いい整理ね。2つを並べると、観光が『認知の壁』を越えないと、その先の興味も比較も始まらないことが一目で分かるでしょう

北村がホワイトボードの絵をしばらく黙って見つめていた。ファネルの「認知」の段を指で辿り、そして、ぽつりと言った。

北村裕の表情アイコン
北村
じゃあ、うちは『知る』のところで止まっとるわけですね

短い一言だった。だが、その静かな自覚が、この部屋にいる全員の空気を変えた。せとうちマーレブルの最大の課題は、「知ってもらうこと」——認知のハードルを越えることだった。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
北村さん、その自覚がスタートラインですよ。長く地域を見てこられたからこそ、迷わずそこを指せたのでしょう。課題がどこにあるか分かれば、あとはそこに集中すれば大丈夫ですよ。全部やらなくていいんです
北村裕の表情アイコン
北村
ありがたいですねえ。やりたいことばかり増えていましたが、まずは『知ってもらう』ことですね
宮本彩の表情アイコン
宮本
私も、何から手をつければいいか分からなかったんですけど、まず知ってもらうところに集中すればいいって思えると、少し道が見えた気がします

📌 覚えるポイント

  • スーパーは「お客様が来てくれる」。観光は「知ってもらうところ」から始まる——この入口の違いがマーケティングのすべてに影響する
  • 5ステージのファネル:認知→興味→比較→購入→継続。顧客が初めて知ってからリピーターになるまでの段階的なプロセス
  • 観光では5ステージの最初の「認知」のハードルが桁違いに高い。この街の存在すら知らない人に知ってもらうことが、観光マーケティングの出発点
  • 課題がどこにあるか分かれば、そこに集中すればいい。「全部やらない」という判断こそが、限られたリソースで成果を出す鍵

📖 覚える用語

5ステージ(認知→興味→比較→購入→継続)
顧客が商品やサービスを知ってから買い、使い続けるまでの段階的プロセス。各段階で顧客数が絞られていく構造を持ち、漏斗(じょうご)の形に似ていることから「ファネル」とも呼ばれる。
観光ファネル
5ステージを観光に読み替えたもの。知る→気になる→くらべる→決める→また来る。小売と違い、最初の「認知」段階のハードルが圧倒的に高いのが特徴。
認知(ファネルの第1ステージ)
顧客が商品・サービス・地域の存在を初めて知る段階。観光では「この場所を知っている」ことが来訪の前提条件となるため、ここが最大のボトルネックになりやすい。
ファネル(漏斗)
マーケティングにおける顧客行動の絞り込みモデル。上が広く下が狭いじょうご型の図で表し、各段階を通過するたびに人数が減少することを視覚化する。英語のfunnel(漏斗・じょうご)が語源。
📝 神谷の北村さんへの報告メモ
街歩きで確かめたこと
宮本さんの案内で高松市内の商店街と観光案内所を歩いた。パンフレットラックに並んでいるのは、すでにこの街まで来た人の目に触れるものばかりで、県外へ届く経路は見当たらない。案内所は昨年リニューアル済みだが、実際に冊子を手に取る人は多くないとのこと。
現状の数字
ホームページを見る人は月200人ほどで、県外からはほとんどない。北村さん自身の言葉で「うちは『知る』のところで止まっとる」と現状を確認できた。
今日決めたこと
認知→興味→比較→購入→継続の5段のうち、まず「認知」の1段だけに力を集中する——この優先順位でチームの認識を揃えた。売り場に来た人への見せ方は後回しにして、手を広げない。
次にやること
「知ってもらう」ハードルをどう越えるか、具体的な手段を洗い出す。その前段として、誰に知ってもらうのかを決めるところから着手する。

まとめ

「お店はお客様が来てくれる。観光は知ってもらうところから始まる」——宮本の一言から始まった気づきは、5ステージのファネルという型に収まった。認知→興味→比較→購入→継続。入口が違うだけで、流れは同じ。北村が自分の言葉で語った「うちは『知る』で止まっとる」。その静かな自覚が、このチームの出発点になる。