Shiny Academy

観光マーケティング実践コース

~第8話 2つの媒体で、1本の川をつくる~

前回のあらすじ

宮本の提案で、屋島との比較取材として高松港からフェリーで女木島(鬼ヶ島)へ渡った。桃太郎伝説の洞窟、アニメの聖地巡礼スポット、瀬戸内海の360度パノラマ——同じ島が、来る人の関心によって三つの違う顔を見せていた。西園寺は「切り分けるのは場所ではなく、来る人の関心の側」と整理し、聖地巡礼にはコンテンツツーリズム(作品をきっかけに人が旅に出ること)という既存の名前があることを教えた。北村が「屋島だって負けていませんよ。歴史に、自然に、踊るうどん踏み——屋島にも三つあるんですよ」と応用した。広げるのではなく、深さで勝負する。

素材の整理 ── 取材の収穫をテーブルに広げる

取材素材をテーブルに広げ、ホワイトボードで整理する宮本と、スタッキングチェアで素材を見る神谷・北村

女木島の取材から数日が経った。せとうちマーレブルの事務所の会議テーブルに、これまでの取材素材が広げられていた。屋島で撮った写真のプリント、さぬき体験工房のフィールドノートのメモ、女木島のスケッチ、動画クリップの一覧表。屋島の獅子の霊巌から撮った瀬戸内海のパノラマ写真、女木島の洞窟内部のスケッチ、藤原の体験工房でのうどん踏み体験のメモ。整理しきれないほどの素材が、テーブルの上に散らばっている。

窓から初夏の強い日差しが差し込む中、宮本がホワイトボードの前に立ち、赤・青・黒の3色のマーカーを手に取った。

宮本彩の表情アイコン
宮本
素材を整理してみますね。「写真」「テキスト——メモやキャッチコピー(人の目を引くための短い宣伝文句)の案」「動画クリップ」の3つに分けてみます
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
こうして並べてみると、かなりの量になっていますね。屋島の取材と女木島の取材で、写真だけでも数十枚あります
北村裕の表情アイコン
北村
おお、これだけあるんですか。あの洞窟のスケッチもいいですし、藤原のところの体験メモもある。よし、これだけあれば何か形にできそうですね

宮本が手際よくホワイトボードに3列を書き出していく。赤で「写真」、青で「テキスト」、黒で「動画クリップ」。素材が整理されるにつれて、数日間の取材が確かな収穫として可視化されていった。写真の列には数十枚、テキストの列にはキャッチコピーの案やメモが並び、動画クリップの列にも短い映像の一覧が連なっている。3人の表情が自然と明るくなる。

同時進行か、順番か

素材の全体像が見えてきたところで、神谷が次の一手を切り出した。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
これだけ素材があれば、小冊子も動画も同時に作り始められますよね
北村裕の表情アイコン
北村
そうですね、両方いっぺんに進めた方が速いのではないですか。素材は同じなんですし

神谷は当然の提案だと思った。素材は揃っている。小冊子も動画も、同じ取材素材から作るのだから、並行して進めた方が効率的に思える。事務所のノートPCに接続したオンライン画面の中で、西園寺が静かに首を振った。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
同時進行は、実は危険なんです
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
危険、ですか
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
小冊子は、確定情報を正確に伝えるメディアね。地図、料金、アクセス方法、営業時間——読む人が「これを見て判断する」ための正確さが命なのよ
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
一方、動画は「行きたい」という感情を動かすメディアよ。映像と音楽で心を揺さぶる——こちらは感情が命なの
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
正確さが命の媒体と、感情が命の媒体……
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
その通りね。性質の違う2つを同時に作ると、正確さを確認しながら感情の編集も進めなければいけないの。チームの頭の使い方がまるで違うから、結果的にどちらも中途半端になってしまうわ
小冊子と動画の役割の違いを示す概念図。小冊子は正確さが命、動画は感情が命

神谷は、小冊子と動画の違いを頭の中で整理した。確定情報を正確に届ける小冊子と、「行きたい」を生み出す動画。求められる品質の方向がまるで違う。それを同時に走らせたら、確かにどちらも中途半端になりかねない。スタッフが実質2人のせとうちマーレブルで、頭の切り替えが追いつかなくなるのは目に見えている。

北村裕の表情アイコン
北村
なるほど。正確さと感情ですか。確かに、地図の間違いを直しながら動画の編集もやるのは、頭が追いつかないでしょうね

ペルソナの情報接触パターン

同時進行の危険がわかったところで、ではどちらを先に作るのか。その問いに答えるために、神谷は以前に描いたカスタマージャーニー(お客様が知ってから来てくれるまでの道のり)のメモを引っ張り出した。

神谷悠馬の表情アイコン
神谷
カスタマージャーニーを見返すと、「知ってもらう」が小冊子で、「惹きつける」が動画ですよね。この順番には意味があるんですね
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
いい気づきね。でも、順番の根拠はもっと具体的に考えたいわ。ペルソナ(たった一人の理想のお客様像)の林田家が、どこで何を見るか——情報接触パターンで考えてみましょう
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
林田家……阪神間在住で、未就学のお子さんがいる家族連れでしたね
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
ええ。林田家のお母さんが最初に出会うのは、Instagramで流れてくる動画のほうね。小冊子は、そこで気になった人が旅の計画を立てるときに開くものなの。届く順番は動画が先ね。でも作る順番は逆にするわ。動画の台本には、地図も料金もアクセスも要るの。先に小冊子で確定情報を固めておけば、その土台の上に台本が書けるわ。ジャーニーの上での役割と、届く順番と、作る順番——この三つは、必ずしも同じ並びにならないのよ
宮本彩の表情アイコン
宮本
届く順番と作る順番、同じだと思い込んでいました。何が先に決まっていないと次に進めないか——そこから逆算するんですね
ペルソナの情報接触パターンから導くメディア順序の図解。フェリー船内で小冊子、帰宅後にInstagramで動画

スマートフォンの画面で偶然出会う動画と、旅の計画中に手元で開く小冊子。同じペルソナでも、触れる場面が違えば求める中身も違う。だからこそ、届ける側が役割と順番を設計しなければならない。西園寺が画面越しに頷いた。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
小冊子で情報を固めてから、その確定情報を土台に動画の台本を作る。作り直しではなく、積み上げなの。だから順番が大事よ
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
同じ素材を、まず小冊子に使って情報を確定させ、次に動画にも活かす。複数の媒体に展開していくんですね
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
そうね。媒体ごとに別々の役割を割り振って、次の媒体へ受け渡す順番まで設計する戦略を「クロスメディア」と呼ぶの。闇雲に媒体を増やすのではなく、それぞれの媒体に何をさせて、どこへ送るかを設計することが大事ね。これはどの業界でも同じなのよ

クロスメディア(媒体ごとに役割を割り振り、次の媒体へ受け渡す順番まで設計する戦略)。小冊子から動画へという制作順は、動画の台本が確定情報を必要とすることから導かれた結果だった。「何を作るか」だけでなく「どの媒体から次のどこへ渡すか」まで設計する。順番には、きちんとした理由がある。神谷は、カスタマージャーニーのメモに「クロスメディア」と赤で書き加えた。

外部パートナーとの連携

メディアの順番が決まったところで、続けて西園寺がもう一つ重要な論点を切り出した。画面越しの表情が、少し真剣になった。

西園寺遥の表情アイコン
西園寺
ここでもう一つあります。「予約する」「動いてもらう」の段階は、せとうちマーレブルが全部やる必要はありませんよ
北村裕の表情アイコン
北村
でも、うちが最後まで面倒を見ないと、お客様に迷惑がかかるのではないですか
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
そのお気持ちはよくわかりますよ、北村さん。でも旅行会社には、ツアーの企画と催行のプロがいるんです。予約ページの運営も、催行当日の安全管理も、あちらの専門分野ですよ
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
それに、これは得手不得手の話だけではないんです。旅行者からお金を受け取って旅行の企画をしたり、交通や宿を手配したりする事業は、旅行業法で登録を受けた事業者しか行えません。ですからこの部分は、登録のある旅行会社と組むことが前提になりますよ
西園寺遥の表情アイコン
西園寺
せとうちマーレブルは「知ってもらう」と「惹きつける」に集中しましょう。得意な部分をそれぞれが担い、外部と連携する——全部自前でやるより、結果的にお客様にとってもいいものになりますよ

北村は腕を組んで黙った。長年、地域の観光を自分の手で何とかしたいと走り続けてきた。マーレブルを立ち上げたときから、企画も制作も発信も、できる限り自分たちの手でやってきた。全部自分たちでやりたいという気持ちは本物だ。だが数秒の沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

北村裕の表情アイコン
北村
……正直、全部自分たちでやりたいという思いはあります。でも、確かにツアーの催行まではうちだけでは手が回りません。それなら、うちは小冊子と動画で一番いいものを作ることに全力を注ぐ方がいいのかもしれませんね
宮本彩の表情アイコン
宮本
北村さん、以前からお付き合いのある旅行会社さんがありますよね。ツアーの催行はそちらにお願いして、うちはコンテンツ制作に集中しましょう
北村裕の表情アイコン
北村
ええ、そうですね。頼むところは頼む。その分、うちが作るものの質を上げる。そういうことですね
せとうちマーレブルと旅行会社の役割分担を示す概念図。知ってもらう・惹きつけるはNPO、動いてもらうは旅行会社

カスタマージャーニーの流れが、3つの担当に整理された。小冊子で「知ってもらう」、動画で「惹きつける」、旅行会社のツアーページで「動いてもらう」。全部自分たちでやるのではなく、それぞれの得意を活かして連携する。スタッフが実質2人のせとうちマーレブルだからこそ、集中すべき領域を絞り、それ以外は信頼できるパートナーに任せる。限られた人数で最大の成果を出すための設計だ。

「1本の川」 ── 制作計画の完成

制作の順番が決まり、役割分担も整った。宮本がホワイトボードの3列の素材リストの下に、「小冊子→動画→ツアーページ」の流れを矢印で書き足した。取材素材から始まって、小冊子、動画、そして旅行会社のツアーページへ。一本の線でつながった流れが、ホワイトボードの上に浮かび上がった。北村が立ち上がり、ホワイトボードを見つめながら、ぽつりとつぶやいた。

北村裕の表情アイコン
北村
……なるほど。まず小冊子で土台を作って、そこから動画に育てる。1本の川みたいに、同じ素材が流れていくんですね
宮本彩の表情アイコン
宮本
制作スケジュールをまとめますね。まず小冊子を仕上げてから、動画に取りかかる流れで整理します
神谷悠馬の表情アイコン
神谷
宮本さん、お願いします。北村さん、事務所にある以前の冊子も参考になりそうですよね
北村裕の表情アイコン
北村
ああ、前に外のデザイナーさんに頼んで作ったやつですか。あれを土台にするのは、いい考えかもしれませんね
同じ素材が媒体間を流れる「1本の川」の制作フロー概念図。取材素材から小冊子、動画、ツアーページへ

宮本がホワイトボードに制作スケジュールの骨格を書き始めた。まず小冊子の原稿作成、次に動画の台本と撮影、最後に旅行会社への連携依頼。横で見ていた北村が、小さく頷いている。西園寺もオンライン越しに画面を見つめ、静かに微笑んでいた。

気づけば、事務所の白い壁に西日が長く伸びていた。テーブルに広がった取材素材が、これから流れ始める川の源流に見えた。屋島の写真も、女木島のスケッチも、藤原の体験工房のメモも、すべてが一本の流れの中に位置づけられた。1本の川が、2つの媒体をつなぎ、やがてお客様の手元に届く。制作計画の骨格が、今日この事務所で完成した。


📌 覚えるポイント

  • 小冊子は地図・料金・アクセス・営業時間といった確定情報を正確に伝え、動画は「行きたい」という感情を動かす。役割の違う媒体を同時に作ると、どちらも中途半端になる
  • 小冊子で情報を確定させてから、その土台の上に動画の台本を作る。作り直しではなく積み上げだから、順番そのものに意味がある
  • 届く順番と作る順番は分けて決める——林田家に先に届くのは動画(Instagram)だが、動画の台本は小冊子で固めた確定情報を前提にするため、制作順は小冊子→動画になる
  • 取材で集めた写真・テキスト・動画クリップは、小冊子にも動画にも流用できる。ただし素材を使い回すこと自体は目的ではない。次の媒体へどう受け渡すかを設計してはじめて、ばらばらの制作物がひとつの流れになる
  • 「知ってもらう」「惹きつける」は自分たちが担い、「動いてもらう」(予約・催行)は旅行会社に任せる。役割分担の都合だけではなく、報酬を得て旅行の企画や手配を行うには旅行業法の登録が必要という法律上の理由がある
  • 素材を整理し、各媒体の役割と制作順序を決めてから取りかかる。計画なしに作り始めると手戻りが増え、限られた人数では回しきれなくなる

📖 覚える用語

クロスメディア
同じ素材を、媒体の特性と順番を揃えて複数の媒体(紙・動画・SNS等)に展開する戦略。闇雲に媒体を増やすのではなく、各媒体の役割と届ける順番を設計することが重要。
📝 神谷の北村さんへの報告メモ
制作計画の骨格を確定
取材素材を「写真」「テキスト」「動画クリップ」の3種に整理し、小冊子→動画→旅行会社ツアーページの3段階で同じ素材を流す制作フローを設計した。まず小冊子で確定情報を固め、その土台の上に動画の台本を構築する「積み上げ」方式を採用。
クロスメディア戦略を整理
小冊子は正確さが命の「確定情報メディア」、動画は『行きたい』という感情を動かす媒体と位置づけ、同時進行ではなく順番に制作する方針を確認(順番の根拠は、動画台本が小冊子の確定情報を前提にすること。届く順番は動画が先でも、作る順番は小冊子が先になる)。
外部連携の設計
「知ってもらう」(小冊子)と「惹きつける」(動画)はせとうちマーレブルが担当し、「動いてもらう」(予約・催行)は旅行会社に委ねる方針を確認。全部自前でやるのではなく、得意分野で役割を分担することで、お客様にとっての質を上げる。なお、この分担は法律上の前提でもある。旅行の企画・手配を報酬を得て行うには旅行業の登録が必要で、当法人は登録を持たないため、募集・予約・催行は登録のある旅行会社に委ねる。

まとめ

同じ素材を持ち寄りながら、媒体ごとに違う役割を果たして一つの流れをつくる。小冊子で情報を確定させ、動画で感情を動かし、外部パートナーの力で行動へつなげる。作り直しではなく、積み上げ。次の媒体へどう渡すかまで設計することが、クロスメディアの本質であり、限られた力を最大限に活かす設計になる。